「好き、なんだって」 もうどうしようもない。言いながら思った。 何をやってるんだろう。とも同時に思った。 跡部くんの顔は見れない。でも視界の中であなたが私を見ているのだけは感じる。僅かに期待してしまうから、どうか見ないでと思う。だけど本当に見てもらえなくなったら、それでも私は同じように思うんだろうか。 「なんであいつじゃなくてがわざわざ言ってんだよ…?」 最近、聞くことがとても多くなった跡部くんの声。低いはっきりとした声。 怒っているような気がして慌てて私は否定する。 「いや、あのね、ちゃんと自分で言いたかったみたいなんだけど、ちょっと今は勇気が出なかったみたいっていうか」 「…で、お人好しにも程があるが頼まれそうしてるって訳か?」 「えっちゃんは私が跡部くんと仲良いって思ってるみたいで…それで…」 「……へぇ」 ― それは随分と律儀なことで。 目を伏せて、両手をポケットへと突っ込んで、伸びる足を前へと放り出して。 蹴るように机に当たった足が静かなこの教室の空気を割る。その音に心臓が飛び跳ねた。この部屋でこんなにも沈黙に耐え続けた時はきっと一度もない。 「俺とが仲良い、ねぇ」 「うん、みたいだよ…」 「くっだらねぇ」 口元を歪ませて跡部くんが言う。胸が凍りつくように絞り上げられて頭がうまく働かない。 大丈夫と決めて確かに立てた決心をぐらぐらと何かが揺さぶってくる。追い立てるように心臓は早くなっていくけれど、でももう。 「……修学旅行で、」 「あん?」 彼の目を見て言う勇気はとてもなかった。 何かにすがるように爪先だけを見て、熱く、込み上げてくるものを吐き出すために、一度深く私は息を吐く。出来ることなら、思い出も一緒に吐き出したかった。 「跡部くん、私が欲しがってた星のついたガラスのさ、靴買ってくれたことあったでしょ?」 「……それが?」 「それをね、えっちゃんは見てたらしくてね、仲良いの?って言われて…」 「だから?」 「だから…、私なら言いやすいんじゃないかって思ったみたいで…」 言葉が最後まで紡げない。 きちんと最後まで口にすることの出来なかった私に、跡部くんは続きを求めるようなことをしなかった。 カーテンの閉められていない窓からは強い西日が差している。眩しくて、苦しかった。どこかそれは跡部くんを見る時、いつも感じるそれと似ている気がした。見える爪先。揺らめきかけて焦る。ぎゅ、と強く歯を食いしばった。 掌から落ちていくそれを、どこかで「ああやっぱり」と思っていたと思う。 ゆっくりと一齣一齣。一つづつどこか目で追っていた。 映えるようにと、どきどきしながら用意した鏡の土台から零れ落ちていく華奢な形をしたガラスの靴を、落ちていくと理解しながらも手を差し出す気になれなかったのは「きっと大丈夫だよ」と、どこかで甘い考えが疼いたからだと思う。 安全圏に入ってから振り返る。そんなのもう全てが遅い。 手にしたそこに、輝く星の形はもうなかった。 「たかだかあれぐらいのことで、…勝手な推測も良いとこだな」 淡々と跡部くんは口にする。耳に入る言葉に、胸が押し潰されるかと思うぐらい息苦しくなって、体がうまく動かない。 分かっていたのに、一体私は何を期待したんだろう。 砕けたガラス。もう元には戻らない。 「ほんと、だよね」 「ああ。冗談じゃねぇ」 「……でも、それでもほんとえっちゃんは良い子だと思うよ?」 「人に頼って告ってくるような女が?」 「………そんな風に言わないで」 固く握り締めると指先がとても冷えているのが分かる。どうして。これで良いと思ったのに。 『ちゃんて跡部くんと仲良いね。』 あの時彼女はおずおずと、とても心苦しそうに口ごもりながらそう言った。思い悩んでそして口にしてるんだということがそれで分かった。「好きなの?」という問いかけを、そんなことないよ、と否定した私に彼女はすがるような目で、「じゃあ、お願い」と続ける。 曖昧に頷いた私はそんな自分をどこか遠くで見つめていた。悲しかったのを、うまく出せなかった。 手から零れるガラスを見つめながら、一齣一齣。落ちていくそれを、手にする資格はやっぱり私にはなかったんだと思う。 「つうか無理だ。却下」 「え…」 「粘ったって無駄だぜ。どうこうする気はさらさらない」 「でも、そんなにあっさり、」 「に口出す権利はあんのか?」 はっきりした声に詰まる。 「どうなんだよ…」 私は顔を上げて跡部くんの視線を受けた。 跡部くんの視線はいつもまっすぐで逃げ場がなくて、いつも内心うろたえていたのを跡部くんは知っていただろうか。 ひとつひとつ拾い上げる思い出は、粉々に砕け散って、合わすことも繋ぐことも出来ない。もう元の形には決して戻らない。それを強く感じたのを覚えてる。とても大切なものならば、大切に扱えば良かったのに。 ただの一瞬で決定付けた。 床に散る破片を一つづつ集めながら、宝石みたいに光を集めるそれに、どうしても今までを重ねずにはいられなかった。 「……ない、よ…ね」 ただ静かに流れる空気の中にぼんやりと漂う私の声。 差し込む陽が長い影を生んでる。跡部くんと私。二人分の。 いつも本当に楽しかった。すごく嬉しかった。小さくても思い出が増えていくのは幸せだった。あのガラスの靴だって。他の全部も。それは嘘じゃない。 「そうかよ…」 分かった。それだけ言うと跡部くんは席を立つ。 ただ私は目でそれを追うことしか出来ずに。力がそれしか湧かない。 「話はそれだけだな?」 「…うん、でもほんと、」 「考え変えるは気ねーよ」 「…そっか」 「ああ」 ゆっくりと私は頷く。その時もう今までのような関係は取り戻せないんだろうということだけが確信出来ていた。 跡部くんは私を見て一瞬足を止めて、また前を向くと教室のドアに手を掛ける。 「……」 「な、に?」 「お前まだ持ってんのか、あの時のそのガラス」 思いがけない問いかけに私は目を見張る。 いっそこの時、時が止まれば良いって本気で思った。 「…ううん、ごめんね、割っちゃったの」 「………だろうな」 自嘲めいて聞こえたのは私の自惚れだと思う。 跡部くんはそう言うと今度こそドアを開け、この教室から出て行った。ただ一人残されたこの場所は、同じ景色が見えるのにでももう同じ空気はない。きっと、二度とない。泣きたいと思うのに泣けなかった。ごめんね。壊してごめん。そんなつもりじゃなかった。 まるであの時割ってしまったガラスの靴の欠片が、私の胸を刺し続けるように痛みだけが拭えない。また、私は私自身の選択で、輝く星を壊すんだ。 |
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05.3.8 |